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それは太いちぢれ麺でありながら、
わずか2分で茹で上がる麺で、そのぷりぷり感は
一度食べたら他の麺とは違う事が、誰が食べてもわかるからです。 |
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| なぜ2分で茹で上がり、しかもぷりぷりのしこしこに茹で上がるのか?それは小麦粉100%でその配合に特徴があるから出来るのです。 |
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日本そばで言えば10割そばです。
手をかけ人にしか出来ない部分をしっかり
受け継いでいるから、
大手の製粉業者や大手の製麺機ではもちろん
色々な製麺所がトライしても出来ないのです。
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日頃、皆様が召し上がっているラーメンの麺は
グルテンや玉子が入っているため茹で時間は
3分から5分かかります、
しかしこの麺は2分ゆでた後はのびるまでに
時間がかかりやわらかくなっても風味がしっかり残る
特徴を持っています。
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今の3代目になるまでにいろいろなエピソードやこの麺になるまでの
100年の歴史を今回初めて公開していきます、
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二代目が製麺所を継ぐきっかけ
戦後の混乱の中私達は疎開先から浅草に戻り
焼け野原になった浅草にバラック小屋を立てて
今後の生活をどうしようかと路頭に迷っていました。
両親(初代)もかなり悩んでいた様子だったが
やはり我々に生きる道は製麺しか無いと決心し
準備を進める事となった。 |
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しかしなんと言っても戦後の資源不足の中、
製麺所を再開する見通しは立たず
バラックの中で悩み続けていた両親の姿が
未だに目に焼きついて離れない。
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そんな中 中華麺組合より朗報が届く
「戦時中に疎開していた製麺所に古い機械があり
その製麺所は廃業すると言う。
麺機屋は「新しい麺機を作る事は出来ないが
修理なら可能」と言う事で、
父親を先頭に私と弟とで大八車を借りて池袋の先の
椎名町迄 浅草から徒歩で取りに行った事を思い出す。
8月の暑い最中で一昼夜かかり飲まず食わず
滴る汗を拭いもせずに無言でただひたすら歩いていたと記憶している。
ただその途中にアイスキャンデーを食べていた
子供に出くわし
その時にただ一言だけ
父は言った「アイスキャンデーが食いたいか?必ず食べられるようにしてやるからな」
この言葉だけは今でも脳裏に響いている。
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当時23年頃は食料もままならず 外食券食堂に
配給された外国の小麦を預かり、
うどんなどに加工して何とか生活をしのいでいた。
当時は復活した製麺所も少なく瞬く間に仕事の量が増え
夜も明けやら無い早朝より
草木も眠る牛三つ時まで休みも無く働いて来た。
私自身は大学に行く事を人生の最大目標とし
一心不乱に勉強して来たが
病の兄と幼い弟を抱えていた、
両親を支える事が出来るのは私しかおらず
結局大学を断念せざる得なかった。
後にも先にもこの事だけが心残りである
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しかし時は戦後復興の激動期
そんな事のこだわってもいられずとにかく
一生懸命働いた、
その甲斐もあって昭和27年には
来集軒の中華料理部門をオープンさせる事となり
中華料理部門を病から回復して兄が営み
製麺部門をこの私が営む事となった。
浅草来集軒の名は瞬く間に広がり、 当時としては珍しかったが、
行列が出来る店として
NHKに取り上げて頂く事になった。
後にも先にもNHKが取り上げたラーメン店は
浅草 来集軒だけだと記憶している。
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その後も浅草の芸人さん達や皆様に愛され続けた
甲斐もあり 来集軒の店も20店舗以上に広がり
親睦会まで作れるようになった
しかし時代の波とよる年波には逆らえず
廃業して行った仲間達も数多い
現在は浅草 来集軒を守ろうと決起してくれた
娘婿(3代目)とその仲間達に支えられ
新たな事へのチャレンジを試みているようだ、
私も是非参加してみたいものだが
如何せん歳を取りすぎた、
浅草に来集軒の灯火を消さぬよう何とか頑張って欲しいものだ
来集軒の二代目として切に祈っている。
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多加水手もみちぢれ麺の誕生について
戦後の目覚しい復興の中で製麺所の数も確実に増えて行った。
そんな中 製麺機の進歩も目覚しく
それぞれの製麺所が機械の導入をした為に
どこの製麺所に頼んでも 代わり映えの無い麺しか出来ない状況だった。
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そんな中 来集軒の初代料理長の宇津木氏に言われ
「麺を手でもんで縮らせたところ油やスープが乗って非常に旨い」との意見を聞いた先代が「これだ!」とひらめき
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早速 次の日より思考錯誤が始まった。
元々の中華麺は水分の量が少なめだったせいか固めで
手で揉むと握力が持たず何箱か揉むと根を上げる職人が続出した。
これではとても商品にならないと判断した先代は水分を多めにする事により
そば自体を柔らかくして手の負担を軽減しようと考えた。
しかも微妙な水分のバランスにより 麺がとても美味しくなる事も発見し
まさに一石二鳥 その後注文が倍増した事は言う迄も無い
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麺機の発展も凄まじく 自動で麺を縮れさせる技術も開発されたが
やはり手で揉んだ麺の美味しさには追いつけないと感じている。
どんな仕事でも商売でも言える事だが
お客様は手を掛けた物を好むを言う事は今も昔も変わらないと感じている。
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創業当時より続いている来集軒のポリシー
それは何と言っても お客様の口に入る物を作らせて頂き 商売しているので
衛生面を最重要課題として取り組んできた
一度こんな事があった
麺を手で揉む際に必ず 手をアルコールで滅菌処理してから揉むのだが
ついうっかり私がそれを忘れてしまい
揉んでしまった、
しかしそれを先代がしっかりと見ていたのは言う迄も無い
麺棒でしたたか叩かれた事は未だに来集軒製麺所の語り草になっている |
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工場の衛生環境は今の3代目にも受け継がれ
掃除及び衛生 消毒が最重要課題として
半月に2回は責任者の衛生会議なるものを行っている。 |
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